数回に渡ってくすぐりビデオについて思うことを色々書きましたが、まとめとして私自身が個人的に現状において、誰もが楽しめるくすぐりビデオを製作するのは難しいだろうなと思う理由と、個人的にこういう状況が実現出来るのであれば誰もが楽しめ、また購入出来ると考える理想の状況というのを書こうと思います。
まず、誰もが楽しめるくすぐりビデオを製作することが難しいと考える理由を3点に分けて書こうと思います。
1点目は、ビデオに求めるものが多くなりすぎているということです。ある意味ネットでくすぐりに関する情報が簡単に手に入れられる昨今では、外国も含めサイトによっては簡単にビデオクリップ等をDLしてくすぐり動画等も手に入れることが出来ます。
加えて、内容の優劣の差こそあれ現在では多くのくすぐり関連のビデオが販売され、昔と違いくすぐり自体をビデオで観る事も、程度の差こそあれ、難しくない状況になっています。
正直現在ほどそういう環境が整っていなく、くすぐりの情報に接する事が殆どなく、ましてやくすぐりビデオが出来るなんて想像もつかなかった昔は、ちょっとしたくすぐりのシーンに遭遇するだけで、ドキドキしましたし、ある意味その情報は貴重でした。
それゆえに、その貴重性を認識しているからこそ、初めてAVでくすぐりのシーンに遭遇した時に感激し、また、松下くすぐりビデオの存在を知り、実際ビデオを観た時には興奮したのだと思います。
ですので、その段階である程度自分の中に好きなくすぐりの趣向があったとしても、くすぐりという行為自体がビデオに存在するだけで、趣向は度外視で満足は出来ましたし、とにかく、くすぐりというものをビデオで観れるだけで満足という感覚でした。
しかし、現状のように、多種のくすぐりビデオに接する事が出来るような状況になってくると、くすぐりがビデオの中に存在するだけでは満足出来る状態を越してしまい、自分が好きな趣向のくすぐりを求めてしまう感覚になり、ビデオに求める内容のレベルが高くなってきているのは事実です。
ある意味、自分も反省しなければいけないのかもしれませんが、くすぐりという貴重性が自分の中で希薄になり、良いか悪いか判断は難しいですが、ある意味くすぐりビデオに対する純粋な感覚も無くなってきているのではないかなという気がします。
くすぐり好きの誰もが私のような感覚になっているとは思いませんし、私だけかもしれませんが、ある意味くすぐりに関する情報に接すれば接するほど、単にどんなくすぐりでもいいのではなく、どんどんくすぐりの中でも自分の趣向が細分化されるというか、どういうくすぐりに一番興奮するのかということを認識していくという感覚です。
しかし、そうなると、当然くすぐりビデオを製作する側も、単にビデオで普通にくすぐりという行為をするだけでなく、ある意味それぞれの趣向に合わせたくすぐりをしていかなくてはならなくなります。
しかし、観る側がそうであるのと同じように、当然製作する側にも好きなくすぐりの趣向があると思います。購入者の方から意見等を聞きビデオに反映されようと努力はされると思いますが、あまりに要望が分散するとそれに対して一つ一つ答えるのは大変だと思いますし、やはり、製作する側にとってもどうしても自分のこだわりというのもあり、どうしても、自分が一番好きなくすぐりの内容でビデオを製作すると思います。
そうなると、やはり色んな趣向のくすぐりビデオの製作者の方が必要になってくると思いますが、現状のくすぐりビデオの販売規模を考えると、そこまでリスクを背負って製作しようとする方が現れるのは厳しいかなという気がします。
次回は、2,3の理由を書こうと思います。