私の好きなくすぐりの雰囲気は、海外のくすぐりビデオで見受けられるような楽しい雰囲気のくすぐりで、加えて、くすぐられる相手がくすぐられたいと思ってる状況でのくすぐりです。
海外のビデオを観ていると、お互いに、くすぐる、くすぐられるという事を完全に受け入れてくすぐりを楽しんでるという感じがして凄く微笑ましい感じがします。これは日本と違って海外ではくすぐりが一つの文化として成り立って存在しているからかなあという感じがします。
正直、くすぐりをプレイとして長期間楽しもうと思えば、どうしてもくすぐる相手の気持ちが凄く大事な気がします。どうしても一方的なくすぐりというのは、その瞬間はそれで満足できても継続性が中々難しいという気がします。
以前、私の初めてくすぐり体験で、あくまでくすぐりがメインではなく、じゃれ合いの中の一部にくすぐりがあるというような感じでくすぐり合うと気持ちはひかずに、凄く楽しかったと書きましたが、それは、結局じゃれあいの中のくすぐりは、相手がくすぐられることを受け入れていて、自分でもその受け入れている気持ちがキチンと伝わってるからくすぐっていても楽しいんだと思いました。
それゆえにくすぐる時の雰囲気は相手の気持ちが大事だと思い、凄く雰囲気作りには気を使っていました。ただ、自分の中ではリアルなくすぐりでは、じゃれ合いの中でのくすぐりみたいな、くすぐりがメインじゃないサブ的なくすぐりしか楽しむ事は不可能で、拘束したり等の、くすぐり自体がメインのくすぐりプレイというのはリアルで楽しむ事は不可能で成立はしないものなんだなという考えも自分の中で導き出していました。
その認識が、たまたまとあるくすぐられるのが好きという女性とくすぐりを楽しむ機会を得た時に変化しました。その女性はくすぐられる事を受け入れているというより、くすぐられたいと思っている女性でした。
私は最初それまでのくすぐる事に対する認識の過程があったので、いくら相手がくすぐられたいと思っているとはいっても、ソフトにくすぐりを始めようと思ったのですが、相手が「拘束して思いきりくすぐって欲しい」と言ったので、拘束してハードにくすぐってみました(汗)
正直自分の中では、気持ちがひいてしまうかなと考えていたのですが、全然ひくこともなく楽しめました。加えてその時はエッチもしないで、ただ、一日くすぐりだけを楽しむだけで過ごしたのですが、気持ちはひかず、また、全然飽きることなく楽しめました。
その時に私は、サブ的なくすぐりじゃなく、くすぐりがメインのくすぐりでも、相手がくすぐられたいと思っていたら全然楽しめるし成立するんだと認識しました。
それゆえに以前私は、相手がくすぐりを受け入れてるだけじゃなくて、くすぐられたいと思っていないとくすぐりは楽しめないという風に現在は認識していると書いたのです。
確かに、よく考えるとじゃれ合いの最中のくすぐり合いは、相手をくすぐる事を楽しんでても、どこか自分の中でくすぐられたいなという感覚があり、くすぐり返されるのを待ってる気持ちも潜在的にあります。
それは、そういう時のくすぐりは、掛け合い自体が楽しいものの、くすぐったくてもどこか気持ちがいい感じもするからかなという気がします。それゆえに、相手も受け入れてくれるのかなという気がしています。
それを考えるとじゃれ合いの最中のくすぐりも相手がくすぐられたいと思ってるのと一緒かなと勝手に考えています。
現在は私は、リアルなくすぐりをする時に気を使っているのは、
○楽しい雰囲気(場の雰囲気、相手の状況を絶対に考える)
○くすぐられたいと思ってる相手しかくすぐらない
上記二点で、加えてくすぐりがメインのくすぐりプレイをする時は、相手がくすぐる事に興味が無い場合を除いて、自分だけ相手をくすぐるのではなく、苦しいですが自分もくすぐらせてあげて、相手にもくすぐることを楽しんでもらうようにしています(汗)。そうして出来るだけ相手との関係はギブアンドテイクの関係になるように心がけています。
自分がくすぐりに弱いので、相手はかなり私の反応を楽しむのが悔しいですが(苦笑)
長くなってしまいましたが、日本もいつか海外みたいにくすぐりが世間一般的に認知されて、普通に楽しめるような雰囲気になったらなあとつくづく思います。。。